トロロママさん、イチオシの原城です。
これもママさんおすすめの「有馬キリシタン遺産記念館」で予習してから行きました。
建物の画像を写すのを忘れてしまいました
ここには印刷機のレプリカが置いてあって
先にUPしたコルベ神父様も、こういう印刷機を使っておいでだったのかなぁと思いました。
(長崎で、印刷所をやっておいでだったそうです)
さて、原城は島原の乱のとき27000人もの人たちが籠城したそうですから
非常に広いのですが、徳川幕府が乱のあと徹底的に破壊したので
石垣などのお城の痕跡はほとんど残されていません。
こんな状態になっていますが、壊すのも大変だったことでしょうね。
石は重たいし、壊れにくいように石垣は積んであるんですものね。
広い城内のかなりの部分は、今ではこんなのどかな耕作地になっています。
悲惨な戦いの跡地に農作物が作られていることが感慨深く
しばらくこの風景を見ていました。
最初耕した時には、人骨とか出てこなかったんでしょうか・・・・
本丸があったところには、これらのお墓や碑が建てられています。
すっかり遅くなってしまったので、原城跡から夕陽を見ていきました。
島原では「島原そうめん」という看板があちこちにありました。
そうめんが名産なのねというと、夫がそれについて話してくれました。
島原の乱では、キリシタンと、重税に耐えかねた農民も籠城しましたが
幕府はその人たちを、女子供に至るまで皆殺しにしました。
ところがそのあと困ったのは幕府で、作物を作る人がいなくなって
年貢が納められなくなったのです。
そこで全国から移民を募ったら、その中に奈良あたりの人もいて
そうめん作りを伝えたらしいというのです。
司馬遼太郎の受け売りだけどね・・という夫の説明でした。