2012年 10月 29日
小谷城

小谷城跡に行ってきました。
ここへ行きたいと思った訳は、昨年の大河ドラマより数年前
遠藤周作の「女」という小説を読んだ時からでした。
お市の方の見た風景をこの目で見たいと思っていました。
しかし、夫にいたっては30歳代から思い続けていたそうです。
やっとこの度、二人の念願がかないました。

ここは大河ドラマの時、浅井長政とお市の方が立って撮影された場所なのだそうです。
秀吉によって、このお城はすべて破壊されたそうで
この場所に限らず、ほとんど何にも残されていません。
(民衆の心が浅井に残らないようにという意図があったそうです)

ほんのところどころに、このような石段や、僅かな石垣が残されているだけです。
ちなみにこの石段は、馬の歩幅にあわせてあるそうで
私などは「ウンコラショ」と掛け声をかけて登らねばなりません。
それよりも、ここに来るには車で5分急坂を登り、そこからもかなり歩いた場所なので
「ここまで馬が登って来てたんですか?」と驚きました。
お市の方などどうやって登られたんでしょう??
ガイドさんの話によれば、今でもクマが出たりするそうですが
こんな山の中で、クマやイノシシや、オオカミなどの獣が出没する中
夜中などはどんなに恐ろしかったことだろうかと私が言うと
夫は「そんな大昔は山の中も平地も同じようなものだったろう」と言います。
言われてみると、昔の夜はどこでも真っ暗だったんですね。

案内してくださったガイドさんは、私より年上だろうと思われましたが
健脚で、歩きながらいろんな説明をしてくださいました。

特に、私たちが日常使っている言葉には、戦国時代に語源を発するものが沢山あって
それの説明が、とても興味深いものでした。
まずこの追手門のすぐ上には「屋場」とか「矢庭」と呼ばれる場所があって、
そこから侵入する敵に向かって矢がはなたれる、
それで「やにわに」とか「やつぎばやに」という言葉が生まれたそうです。
ほかには「目抜き通り」「はめをはずす」「たんとうちょくにゅう」「せっぱつまる」
「らちがあかない」「かけつけ3ばい」「しのぎをけずる」「そりがあわない」などなど・・・・
「戦いの火ぶたを切る」を聞かれて、夫が火縄銃からきた言葉だと答えて
まさにその通りでしたが、それは火縄銃が使われるようになって以後出来た言葉で
平清盛のナレーションなどで、もしそういう言葉が使われたら間違いなんでしょうかね。
絵手紙やBlogで、言葉には関心があるので
バスを降りてから、ガイドさんに質問すると「そんなことを聞く人は初めてや」と言われて
特別にガイドさん手作りの、語源集をくださいました。

画像の真ん中の冊子がそうで、あとは行く前に参考にした本です。
語源集。。。興味あります♪
時々 紹介してね。
小谷城ってタイトルを読んだとき、おぉ!って思いました。
歴史に弱い私は、珍しく続けて楽しみにしていた大河ドラマ
(お江)の場面を思い出しました。
京子さんのいらっしゃる近辺は歴史の宝庫ですね。
時々 紹介してね。
小谷城ってタイトルを読んだとき、おぉ!って思いました。
歴史に弱い私は、珍しく続けて楽しみにしていた大河ドラマ
(お江)の場面を思い出しました。
京子さんのいらっしゃる近辺は歴史の宝庫ですね。
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guuchan が、この前とりあげておいでになった「びびる」も
戦国時代に端を発した言葉ですよね。
鎧が震える音からきた・・・・でしたっけ?
語源集、了解しました。
聞きながらメモしたかったのですが、片手に杖、片手にカメラなので
メモをとることができませんでした。
案の定、下に降りた時には三つほどしか覚えてなくて
ガイドさんに「もう一度教えて下さい」とお願いしたら
この寅の巻きのような冊子を分けて下さったのです。
そうそう、小牧山には石垣の発掘調査の報告まで
夫に付き合って行きましたよ。
報告してませんが「坂本」まで石垣を見に行きました。
戦国時代に端を発した言葉ですよね。
鎧が震える音からきた・・・・でしたっけ?
語源集、了解しました。
聞きながらメモしたかったのですが、片手に杖、片手にカメラなので
メモをとることができませんでした。
案の定、下に降りた時には三つほどしか覚えてなくて
ガイドさんに「もう一度教えて下さい」とお願いしたら
この寅の巻きのような冊子を分けて下さったのです。
そうそう、小牧山には石垣の発掘調査の報告まで
夫に付き合って行きましたよ。
報告してませんが「坂本」まで石垣を見に行きました。
by kyo-ko5
| 2012-10-29 13:55
| お出かけ
|
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