2015年 07月 06日
鳥取城跡
ここへは先月実家へ行った帰り道に寄りました。
鳥取城には天守などの建物はありません。
再建された上の画像の門と石垣があるのみです。
石垣は、昭和18年の地震で壊れた部分があり、今もずーっと修復が続けられているそうです。
修復された部分で面白かったのは、丸い石垣がある事です。
これです。なんか石垣のおできみたいですね。
石垣が崩れそうになったのを、この丸い石垣で防いだのだとか。
当時のものは壊れてしまったのですが、図面をもとにして再現されたそうです。
球のような石垣は、日本で唯一ここだけだそうですよ。
昔のお城作りで一番費用がかかったのは、石を切り出して運ぶことだったそうですが
鳥取城の強みは、お城のある久松山から石を切り出すことができたことだそうです。
この石切り場は、当時の石を切り出した四角い跡が残っているというのですが見えますか?
天守は久松山の山頂にあったそうですが、落雷で焼失したのだそうです。
そこまで登ることができますが、私たちは時間的、体力的に今回は無理だとあきらめました。
もうひとつ楽しかったのは、この仁風閣です。
これは大正天皇が皇太子時代に行啓された、そのためにだけに作られたそうです。
もちろんその後はいろいろに活用されたようですが。
ここのスタッフの方がとても歴史好きの方で、その説明の面白いこと。
鳥取城は秀吉の餓え殺しというひどいことが行われたということは聞いていましたが
「城主の切腹の後、石田三成がお粥をふるまった。しかし何カ月も食べ物を口にしていない人が
あわててお粥を食べたために何人もお粥をのどに詰まらせて亡くなった」とか
「鳥取藩は質素で一汁一菜だった。それも昔は2食だったので、栄養失調で死んだお殿様がある」とか
大正天皇行啓のエピソードなど、沢山のお話を聞きました。
今日も締めくくりはマンホールです。
鳥取のしゃんしゃん傘踊りのデザインですね。